希死念慮について
自分は希死念慮とは①問題解決の短絡、②社会的な脆弱さの2つが入り混じったものと理解しています。
問題解決の短絡について私自身の考えを整理してみます。
①問題解決の短絡
①問題解決の短絡とは、解けない問題を「死」に帰着させたくなることです。
「死」は(狭い認識において)論理的には万能の問題解決手段です。
なので「死」を問題解決の手段として発見してしまったり、それが実施可能だと認識してしまったりすると、何でも困難を「死にたい」に帰着させて解決したことにしたくなります。
「就活するの面倒だな」、「将来のことが不安だな」、「自分は社会で良い立ち位置にいないな」、といったようなすぐ解決できなかったり、どうしようもなかったりすることに面したとき、自分は安直に「死にたい」と結びつくことが多いです。
問題解決の短絡は、とくに積極的に「死にたい」を道具として活用しようとする態度であり、苦しい心理状態を生み出します。
苦しい心理状態とは、問題そのものによって生じるよりも、「死」を活用しようとすることで生じる凄まじい葛藤です。
もう死んでしまいたい、生きていたくないと心から思っていても、「自ら死ぬ」ということにはとてつもない恐怖と苦痛に苛まれます。
だから、「死」を活用しようとすること自体が苦しい作戦であることを認めて、もともとの問題に取り組んでみよう、と私は思います。
問題解決の短絡の対処法
まず、「死ぬこと」を問題解決の手段から外します。
自分は「死ぬこと」を利用しようとすればするほど苦しいことを言い聞かせています。
次に対面していることがそもそも「今」解決するべき問題かを検討してみます。
すぐ変わらないようなこと、大きすぎることであれば「今このとき」だけでどうにかなんてできません。
「将来の不安が〜」「自分の人生は〜」とかは少し考えたくらいでは急には変えることができません。
とりあえずそのままにしておくか、余裕ができた時に細分化して解決できることを仕分けていけばよいでしょう。
また、ほとんどの問題は解決する必要もないことかもしれません。
大体の場合、今解決するべきことというのは、日々の生活維持に必要な些末なことだと思います。衣食住にかかわる家事や消費です。
社会的な活動をしていれば、人に頼まれたことや仕事も該当します。
それらを解決するためには、深淵な考察も何も必要ありません。
人生どうする?よりも簡単に解決に導く情報を得られるでしょう。
今日これからすること
・タスクの消化
・読書
・夏に着るものの点検